釣りの楽しみといえば、もちろん魚が釣れたときと答える方も多いだろう。
釣った魚をさばいて食べたり、大物が釣れたら家族や仲間に自慢する。
それに新しい道具を買う楽しみや、自然に触れることが好き、というのも充分釣りを楽しむ動機となる。
そんな釣りの中で、私がひときわ重要視しているのが自分だけの時間を楽しむこと。
日頃の喧騒を忘れ、家族のことすら一瞬忘れてしまうような、そんなひとときを求めて釣りに行く。
いや、もはや釣りは副次的なものとなっているかもしれない。釣り場に行ったのに、釣りすらしない時もあるくらいだ。
それでは何をしに海(川)へ行くのか?
正体はコーヒーである。
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江戸時代に日本へ伝わったとされる珈琲。
当時はお偉いさん方の飲み物で、その相手をする遊女の間で評判となり広まった(諸説あり)とされる、今では世界の人々にとって、なくてはならない存在だ。
そんな黒い液体に魅せられた一人として、潮風にあたりながら、また深山の渓谷で飲むコーヒーはこの上なく気分を高揚させてくれる。
野点という文化をご存知だろうか?
日本で古くから親しまれているお茶を、外で楽しむというもの。
いまでは外遊びフリークを中心に、各々
こだわりのセットを揃え、さらには真っ赤な敷物まで携え外でお茶を楽しんでいるようだ。
遠足で食べるおやつが美味しいのと同じように、外で飲むお茶も格別なのだろう。
話を戻そう。
外で飲むコーヒーはうまい。
コーヒー好きの皆さんからの誤解を恐れずに言えば、たとえ缶コーヒーであっても、喫茶店の淹れたてコーヒーには敵わないのではないだろうか?
あの黒い液体を外で飲む。
そんな行為に楽しみを見出すのは私だけではないはずだ。
さて、コーヒーを外で飲むにはそれなりの装備が必要だ。
お湯を沸かすためのバーナー、ケトル。
それからコーヒー道具一式。
ドリッパーにフィルター、コーヒーミルにドリップポット。
こだわる人は分量を量るためのスケールを持ち出すかもしれない。
もちろんコーヒー豆(正しくは種子)やマグカップを忘れずに。
テーブルや椅子もあると良い。
これらを持ち運ぶとなると中々の荷物となるが、これに加えて釣り道具もある。
そんな思い(重い)までしてコーヒーを淹れたいのか?釣りに集中すべきだ。
そういった意見もあるかもしれない。
たしかにそうである。
釣りをしながらコーヒーの準備をする。その最中に魚の当たりでもきたら、瞬時に対応することは難しく、せっかくのチャンスを逃すことになるかもしれない。
はじめは私もそうだった。
仕掛けを眺めつつ、コーヒー豆を挽き、湯を沸かす。フィルターをセットしてヤカンに湯を注ぐ。
人間の体と心は2つの事を集中して同時に行うことは難しい。
心と体はどっちつかずで、魚を取り逃がすわ湯はこぼす。ひどい有様だった。
だが最近は、少し振り切れてきた。
釣りよりコーヒーを優先するようになった。
釣りのためにコーヒーがあるのではなく、コーヒーのために釣りがある。といった具合に。
たとえば早朝。
空が薄っすらと白みはじめ、水平線が見えてくる。
この時間帯は魚が積極的にエサを食べ始める時間帯にあたるため、この時間めがけて準備をするのが釣り人のセオリーの1つである。だから旦那さんは午前3時に出発する。
一方、私の場合。
この時間は一番海がきれいに見える。
この景色の中でコーヒーを淹れて飲むのが好きなのだ。
以前は釣りに対する思いがコーヒーよりも勝っていたが、今は逆。
熱心な釣り人がエサを撒くのを横目に、コーヒーをゴリゴリ挽いている。
それからゆっくりコーヒーを飲み、のそのそと立ち上がっては、釣り支度を始めるのだ。
真剣な釣りの諸先輩方には叱られそうだが、こんな楽しみ方も面白い。
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先日、浜名湖へ行ってきた。
もちろん釣りに行くという建前でコーヒーを淹れに。
11月も後半、夕方4時を過ぎると茜色の夕日が海を照らし始める。
仲間は釣りをしている。
その傍らで私はコーヒーを淹れる。
そんな釣り人が一人くらいいても悪くはない。